2012年10月8日月曜日

スパイ中国がアメリカで暗躍

レノボ、パソコン世界シェア初の首位 7~9月
米調査会社                   2012/10/11 10:21 
 
米調査会社のガートナーは10日、パソコン世界出荷台数が前年同期比8.3%減だったと発表した。シェアでは7~9月期に中国のレノボ・グループが初の首位。ただ、同日に公表した米IDCの統計では米ヒューレット・パッカード(HP)が僅差で首位を堅持。HPは「一部の統計は不完全」との声明を出す異例の展開になっている。
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 ガートナーによると、7~9月期のレノボの出荷台数は前年同期比9.8%増の1376万7000台でシェアは2.6ポイント増の15.7%。HPの出荷台数は16.4%減り、シェアは1.5ポイント減の15.5%だった。一方、IDCの調査ではHPが15.9%、レノボは15.7%のシェアだった。
 HPは2006年7~9月期に米デルを抜いてパソコンのシェアで世界首位に立った。6年近く首位を守ってきたが、最近は経営の混乱や組織再編などを背景に販売が鈍化。一方、レノボは05年に米IBMのパソコン事業を買収して事業基盤を拡大し、さらにM&A(合併・買収)や商品の拡充でシェアを伸ばした。
 HPは同日の声明で「パソコンのシェアに関する多くの統計があるが、一部は市場全体をカバーしていない」と指摘した。さらに「IDCは非常に重要な(高性能コンピューターの)ワークステーションを含めており、より包括的だ」と主張し、ガートナーの統計を批判した。

 

米議会 中国通信会社の活動に懸念

 アメリカで、中国がスパイ活動やサイバー攻撃に関わっていると
いう疑いがあるなか、
アメリカ議会下院の情報委員会は、
中国の大手通信機器メーカーがスパイ活動に関与しているという
懸念が払拭(ふっしょく)できないとして、
政府機関で
このメーカーの製品を使用しないよう勧告することなどを決めました。

アメリカ議会下院の情報委員会は、
アメリカに進出している中国の通信機器メーカーが、
中国政府や軍によるスパイ活動に関与している可能性があるとして、
去年11月から
大手の「ファーウェイ(華為)」と「ZTE」を主な対象に調査を行ってきました。
NHKが入手した調査報告書によりますと、
両社は委員会の調査に対して協力的でなく、
中国政府との関係やアメリカ国内での活動についても、
詳細な情報を提供しなかったと指摘しています。
このためスパイ活動に関与しているという懸念が払拭できず、
両社の製品を重要なインフラで使用することは、
アメリカの安全保障の根幹を損ねるおそれがあるとして、
アメリカの政府機関で両社の製品を使用しないことや、
情報機関が中国の通信機器メーカーに対して
監視を強めることを勧告しています。
また、委員会は民間のインターネット接続業者に対しても
両社の製品を使わないよう求めており、
8日にもこの報告書を発表する予定です。       
                NHK国際ニュース   10月8日 16時40分

2012年10月7日日曜日

ボケナス復興大臣10月7日NHK日曜討論

復興相“復興予算は被災地に特化へ”
復興相“復興予算は被災地に特化へ”

平野復興大臣はNHKの「日曜討論」で、東日本大震災の復興予算について、震災が起きた去年とは状況が変わってきたとして、今後はできるだけ被災地に特化する形で予算を執行していく考えを示しました。

この中で平野復興大臣は、東日本大震災を受けて、5年間で少なくとも19兆円規模をあてる復興予算について、「すべてが被災地対象ではなく、震災があった去年は、日本経済の落ち込みを防ぐことで復興を果たすという大きな意味で経済対策に予算をつけた。全国防災という形で、次の災害に備えるための予算も入っている」と述べました。
そのうえで、平野大臣は「現在はフェーズが変わり、日本経済は当初想定された衝撃からは脱し、復興予算で手当てする必要がなくなっている。防災事業も、どこまで限定するかという問題がある。さらに個々の予算でみた場合、私からみても、いかがなものかという予算がないわけではない。きちんと精査して、来年度は、できるだけ被災地に特化した予算を作りたい」と述べました。
一方で、平野大臣は、全国の学校や公共施設の耐震化事業について、「災害が起きた場合、復旧・復興の拠点施設であり、緊急にやる必要がある。復興予算で財源を充てても理解を得られるのではないか」と述べました。
また、同じ番組で宮城県の村井知事は、復興予算に関連して、「国民の増税で賄うので、被災地だけにしか使ってはいけないとは思っていないが、われわれに必要な財源は確保してもらいたい。安住前財務大臣は、19兆円から1兆円くらい上積みを考えていると発言していたが、新しい財務大臣は『減額も考えている』と述べ、被災地には非常に大きな衝撃となって伝わった。政治家の発言は重いので、しっかり継承してほしい」と述べました。

政府 復興予算の事業が適性か検証へ

10月7日 4時9分
 
政府は東日本大震災の復興予算を使って関連性の薄い事業が行われているという指摘が出ていることを踏まえ、調査捕鯨に対する反捕鯨団体の妨害活動への対策費などについて、復興予算を使うことが適切かどうかなどを検証することにしています。
政府は東日本大震災からの復興に向けて、5年間で少なくとも19兆円規模の予算をあてる方針で、財源として「復興債」を発行し、償還のために所得税などの臨時増税を実施することにしていますが、復興予算を使って関連性の薄い事業が行われているという指摘が出ています。
こうした指摘を踏まえ、平野復興大臣は復興予算の使われ方が適切かどうか検証する必要があるとしており、記者会見で「指摘には正しくないものもあるが、指摘以上に問題だと思う事業もあり、財務省に精査を求めている」と述べました。
具体的には、南極海での調査捕鯨に対する反捕鯨団体の妨害活動への対策費23億円や、核融合に関する研究拠点を青森県と茨城県に作るための費用42億円などは、復興予算を使う説明がつきにくいとして検証することにしています。
政府は検証結果を踏まえ、今後、復興予算の適正な支出を図ることにしています。

2012年10月6日土曜日

反日デモを徹底分析 中国共産党の国家総動員令

     反日デモを徹底分析!見えてきたものとは?

過去最大の規模に拡大した今回の反日デモ。映像をよく見るとデモが当局によって組織的に行われた様子が伺える。重慶の15日のデモでは、拡声機を持った男性の後ろに国旗、横断幕、プラカードの順番で隊列が組まれた。同じ15日の北京のデモでは、少なくとも50本以上の同じ形の旗が用意されていた。さらに広州のデモでは、数百人が「開戦」と書かれたTシャツを着て行進。18日の上海では、当局が直接便宜を図っているケースもあった。デモ隊を運ぶためのバスを当局が用意。警察官が見守る中、先導役と見られる男性がTシャツを配っていた。
   
現代中国が専門の神田外語大学の興梠一郎教授は、デモは政府の動員によって行われたものだと指摘する。「映像を見るとホテルだかデパートだかの会社から動員されている人がいる。きれいに化粧しているし、ユニフォームも着ている。明らかに職場で動員かけている。党の組織が学校であれ企業であれいろんなところに根をはっているので、上から動員をかけるとそれが一挙に1つのグループとして総動員される」と話す。

デモの沈静化も当局の指示によるものだった。北京の警察は、市民に日本大使館に行かないようショートメッセージを送信。このメッセージを受けて、デモ隊で埋め尽くされていた日本大使館の前は平常に戻った。前日に1万人以上が押し寄せた上海の日本総領事館前もデモ隊の姿は見られなくなった。興梠教授は「デモは最初から大きくすることも小さくすることもできる。中国の政治体制は当局の思うままにコントールできる。動員国家というのは、全然変わっていない」と話す。


    デモの参加者の多くは若者。1990年代から始まった愛国主義教育を受けていて、特に反日感情が強いといわれている。彼らが中学校で学ぶ歴史の教科書には、日本との戦争が1つの独立した章として設けられている。上海と東北部の瀋陽でそれぞれデモに参加したという20代の男女2人が電話取材に応じた。女性は「みんなが一致団結して抗議の声を上げ気分がとても高まった」、男性は「今回の日本の島の国有化は本当に頭にきた。またデモがあれば参加する」と語った。


インターネットの呼びかけや口コミで集まった若者たちの姿も目立った。広州では祖国を思う歌を合唱するグループや頬に国旗のシールを貼って盛り上がる人たちの姿も。中国ではデモや集会が厳しく規制されている。反日デモであれば、政府のお墨付きで街頭に繰り出すことができ、若者がストレスを発散する機会になると言われている。興梠教授は「遊び感覚で、お祭り感覚でやってる人もいる。普段は彼らは日本のアニメが好きだったり日本の本が好きだったりする子が多い」と指摘する。

一方で、今回の反日デモでは、当局のコントロールがきかない深刻な状況も浮かび上がった。一部の参加者は暴徒化。関係のないホテルの看板を破壊する人たちや広東省では、共産党の建物が襲撃された。経済成長から取り残され、共産党幹部の汚職に怒る人たちの不満が反日デモを機に爆発したとみられている。また建国の父、毛沢東の肖像画をかかげてデモに参加した人たちもいた。興梠教授は「毛沢東の時代はよかったという現政権への批判だ」と話す。全国に広がった反日デモは、中国政府にとって、対応を誤れば批判の矛先が自分たちに向きかねない「両刃の剣」であることが、改めて浮き彫りになった。

 

2012年10月5日金曜日

肥満の僧侶が タイで急増中

仏教徒が国民の9割以上を占めるタイ。僧侶は人々から尊敬されているが、最近、肥満に悩む僧侶が急激に増えている。
 
バンコク近郊にある寺院の僧侶、パイラットさん41歳。朝のたく鉢に出ると、次々とお布施の食べ物が差し出される。かつては質素な家庭料理が中心だったが、暮らしが豊かになり、お菓子や屋台の肉料理などカロリーの高いものが増えいる。

集まった物はすべて食べるのが原則だが、とても食べきれる量ではない。可能な限り食べ続けた結果、パイラットさんは13年で50キロも太ってしまった。最近は高血圧と糖尿病にも悩まされている。「食べないと“料理がおいしくなかったんだ”と信者もがっかりするので、たくさん食べるしかないんです」とパイラットさんは話す。

 週末には、さらに大量の食事が待ち受けている。大勢の信者が、肉や揚げ物などたくさんの料理を寺院に持ち寄る。僧侶が食べることで、亡くなった先祖や家族が食べたことになると信じられている。信者は「亡くなった子どもと両親のために、お布施をした」「みんながおいしい料理を持って行くから、お坊さんの血圧やコレステロールが高くなってしまうと聞いたが、いいものを持って行きたい」と話す。最近の調査ではタイの僧侶の半数近くが肥満に悩んでいるという。

 



肥満は、日々の修行に影響を及ぼすまでになっている。一番後ろで1人だけ足を崩すパイラットさん。ひざを十分に曲げられないため、お経を読むときはいつもこの格好だ。「よくないとはわかっているが、座れないからしかたがない」とパイロットさん。









僧侶専門の病院も対策に乗り出した。ことし5月からダイエットの講習会を始めた。パイラットさんも参加。威厳を保つため、戒律で運動が禁じられているタイの僧侶はジョギングもエアロビクスも許されない。ストレッチでダイエットに挑戦だ。











講習会のあとパイラットさんは、肉や揚げ物を減らし、野菜と米中心の食事に変更。食後は人目を避けてのストレッチが日課になった。たく鉢では歩数計を身につけ、歩く距離を1キロから3キロに延ばした。











ダイエットを始めて3か月。10キロの減量に成功。しかし、まだ体重は130キロ。ウエストも100センチ以上ある。「以前はたく鉢のあと、ひざが痛くて2、3日休んでいたが今は平気。体が健康なら、あちこちに出かけてたく鉢もできるし、張りのある声でお経を読むこともできる。僧侶として長く活動していきたい」とパイラットさんは話す。昔も今も国民の心の支えであり続けるタイの僧侶。食べきれないほどのお布施と、厳しい戒律の中で、健康な体を取り戻すための取り組みが続いている。
 

2012年10月4日木曜日

江戸から東京に変わる 東京駅誕生の秘密

 明治に入り、「江戸」が「東京」に改められ、事実上の東京遷都が実現すると、本格的な都市計画が練られていく。明治23年に、中央停車場設置の訓令が下されるも、開業までには約30年の歳月がかかった。首都・東京の発展の契機となった東京駅誕生秘話を追った。          2012/10/4 6:30

 丸の内に東京駅が開業したのは大正3(1914)年のこと。日本初の鉄道駅、新橋は明治5年に開業し、上野、新宿、渋谷といった主要ステーションもすべて明治期に完成している。実は、東京駅は最も遅い開業だったのである。

 市街地を避けるように(実際には市街地に阻まれていたのだが)分断されていた鉄道を結び、都市内交通を活性化しようと、明治17(1884)年に、中央停車場(東京駅)の建設計画が浮上する。
着工は明治41年。6年後の大正3年12月に、総坪数3184坪、正面長334.5mの巨大な駅舎が完成。開業直前に、「中央停車場」から「東京駅」と名称が改められた
着工は明治41年。6年後の大正3年12月に、総坪数3184坪、正面長334.5mの巨大な駅舎が完成。開業直前に、「中央停車場」から「東京駅」と名称が改められた
    
 建設予定地となった丸の内は、明治維新後は陸軍の練兵場として使用され、その後は司法関係の施設が立ち並んでいた。一方、明治政府は皇居東側の広大な敷地を岩崎彌太郎に払い下げ、三菱による都市開発が始動する。中央停車場建設と三菱への払い下げは、丸の内が将来東京の中心地になることを見越しての政府の決断だった。

 それにしても、完成するまでにかかった年月は長い。これには日露戦争が関係している。明治33年に市街高架線工事は着工されたが、地盤の問題もあって難航。そのうちに日露戦争が勃発し、工事中断を余儀なくされたのだ。

コンドルの愛弟子 辰野金吾
 1854~1919年。佐賀県生まれ。政府関連の建物を設計したジョサイア・コンドルの愛弟子。辰野が東大工学部に入学した後、教鞭を執ったのがコンドルだった。赤い煉瓦は辰野建築の特徴。日本の“煉瓦積造”を確立した建築家として評価されている。国立国会図書館蔵
コンドルの愛弟子 辰野金吾
 1854~1919年。佐賀県生まれ。政府関連の建物を設計したジョサイア・コンドルの愛弟子。辰野が東大工学部に入学した後、教鞭を執ったのがコンドルだった。赤い煉瓦は辰野建築の特徴。日本の“煉瓦積造”を確立した建築家として評価されている。国立国会図書館蔵

 その間、設計担当者の交代劇もあった。中央停車場の設計は、西洋建築の第一人者である辰野金吾だといわれているが、当初はドイツ人建築家、バルツァーの手でプランニングが行われていた。ところが、その案に不満だった鉄道作業局長官の平井晴二郎(後の鉄道院副総裁)が、設計を辰野に依頼。辰野はバルツァー案を継承しつつ、「建物を連続させ、壮観を呈するものに」という平井の注文に応じ、3案を作成した。

 実は最終案の3階建て駅舎は、予定より数段、規模が大きいものだった。日露戦争の勝利により予算が増額され、国威を示すことが重要視されたためである。日露戦争が駅舎の規模にまで影響を及ぼしたことになる。

 国家の威信を懸けて建設された東京駅は、その後、丸の内をビジネスの中心街へと育ててゆく。そして、第2、第3の丸の内の発展に貢献していくのである。


■辰野金吾が情熱を注いだ大正の東京駅がよみがえった

ドーム内部は日本趣味で
 南北のドーム3・4階と天井の内観を復原した。「装飾は日本趣味でやるように」との言葉を残した辰野は、レリーフに干支、鷲、兜、剣、花飾りといった日本的なモチーフを使用。
ドーム内部は日本趣味で
 南北のドーム3・4階と天井の内観を復原した。「装飾は日本趣味でやるように」との言葉を残した辰野は、レリーフに干支、鷲、兜、剣、花飾りといった日本的なモチーフを使用。

 2007年に着工した東京駅丸の内駅舎保存・修復工事がついに終了、創建当時の荘厳なたたずまいを見せている。

 大正3年に開業した東京駅は、関東大震災には耐えたものの、第2次世界大戦で屋根と3階部分を焼失。復興工事により、南北のドーム部は八角形の屋根へと姿を変え、3階建ての駅舎は2階建ての駅舎として完成する。これまで目にしてきたのは、そのときに建て替えられた駅舎である。その後、創建時の姿に戻す計画は幾度となく議論され、21世紀を前にして計画が具体化。東京駅周辺の再整備が検討されるなか、文化的遺産である東京駅丸の内駅舎の保存や『復原』が決まったという。
 
「工事の目的は、駅舎を解体して建て直すのではなく、1・2階の外壁など主要部分は保存し、焼失した部分を復原することでした。そのため、あえて保存と復原という2つの言葉を使ったのです」と、JR東日本建設工事部の本橋元二郎さんは説明する。
新装なった東京駅の構造。オレンジ色部分が復原部(3階・屋根)、水色部分が保存部(1・2階)、緑色は新設部(地下1・2階)
新装なった東京駅の構造。オレンジ色部分が復原部(3階・屋根)、水色部分が保存部(1・2階)、緑色は新設部(地下1・2階)

 では、駆け足で復原工事を見ていこう。まずは3階の外壁部分。復原には、1・2階の外壁に使われている化粧煉瓦の再現が不可欠だった。現代では製造されていない煉瓦が使われていたからだ。「技術を知る職人さんもいないので、煉瓦を作る技術を磨いてもらう必要があった」と、本橋さんは振り返る。しかも保存部分の煉瓦は経年で変色している。何度も焼き直し、創建当時の煉瓦に近づけた。
創建当時に近づけた化粧煉瓦  今では製造されていない、角が立った「ピン角」煉瓦と、膨らみのある「覆輪目地」を再現。保存する1~2階部分の化粧煉瓦にできるだけ近づけた。
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創建当時に近づけた化粧煉瓦  今では製造されていない、角が立った「ピン角」煉瓦と、膨らみのある「覆輪目地」を再現。保存する1~2階部分の化粧煉瓦にできるだけ近づけた。

銅板葺きが復活  屋根は天然スレート(粘板岩)、銅板葺きに。銅板は、真新しい間は10円玉のごとく輝いているが、あえて手を加えず、経年に委ねた。時間の経過とともに緑色を帯びていくという。戦後、焼失した小さな屋根も復活した。旧舎と明らかに異なる屋根は、丸ビルや新丸ビルから全景を見て確かめたい
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銅板葺きが復活  屋根は天然スレート(粘板岩)、銅板葺きに。銅板は、真新しい間は10円玉のごとく輝いているが、あえて手を加えず、経年に委ねた。時間の経過とともに緑色を帯びていくという。戦後、焼失した小さな屋根も復活した。旧舎と明らかに異なる屋根は、丸ビルや新丸ビルから全景を見て確かめたい
 
また、屋根は天然スレート、銅板で仕上げて復原した。「南北にあるドームはもちろん、小さな塔状の屋根や窓も復原しました。銅板部分の輝きは議論されましたが、経年で緑色に変色していくものなので、人工的処理はあえて避けました」(本橋さん)。

干支は12支のうち、方角を示す8支が描かれている
干支は12支のうち、方角を示す8支が描かれている


色は文献にあった記述やモノクロ写真を検証し、決定したという
色は文献にあった記述やモノクロ写真を検証し、決定したという

 復原したのは外観だけではない。ここで旧舎を思い出してほしい。南北のコンコースにあった球形の天井を覚えているだろうか。「実はあの天井は、復興工事で作られたもので、焼け残った創建当時の天井を覆い隠していたのです」と本郷さん。原型はとどめていなかったが、図面と写真で分かった創建時の天井には、干支、鷲、花飾りといった贅沢な意匠が施されていた。「翼を広げると2mほどある鷲の彫刻は、試験的に作っては設置し、写真と見比べながら完成させていきました」(本橋さん)。

 一般建築では見られない技術を総動員して造った新・丸の内駅舎。列車に乗らずとも訪れ、細部までじっくり眺めてみてはどうだろう。

10月3日オープンの東京ステーションホテルは客室倍増。大正4年に誕生し、文豪が数々の作品を生み出した舞台としても知られるホテルが、全施設を改装して開業する。内装には、ヨーロピアン・クラシックスタイルの駅舎外観との調和を意識しながら、現代的で機能的なデザインを取り入れた。
10月3日オープンの東京ステーションホテルは客室倍増。大正4年に誕生し、文豪が数々の作品を生み出した舞台としても知られるホテルが、全施設を改装して開業する。内装には、ヨーロピアン・クラシックスタイルの駅舎外観との調和を意識しながら、現代的で機能的なデザインを取り入れた。

2012年9月29日土曜日

東日本大震災 当初復興予算&デタラメ執行

復興に集中投資 補正と合わせ計18兆円

                                                                     2011/12/25 3:30


 政府が2012年度予算案で新設する東日本復興特別会計(仮称)に約3.8兆円を計上したことで、震災復興対策として投じる資金は11年度第1~3次補正予算と合わせて約18兆円に達した。11~15年度の5年間に19兆円を投じる当初計画だったため、ほとんどを使い切る。ただ11年度に成立した補正予算の中ですら、まだ支出していない資金も多く、効果が本格的に出るのはこれからとなる。

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 今回の被災地支援の柱は、被災自治体を資金や制度面で支援する復興特別区域(特区)。特区に選定された自治体の市街地整備や集落の集団移転に充てる「震災復興交付金」に、11年度3次補正と12年度予算案を合わせて1.8兆円を配分した。ただ、特区の選定はこれからで、実際の支出はまだない。

 復興の妨げとなる、がれき処理には11年度1次補正から12年度予算案までの累計で約1.1兆円を計上。このほか雇用対策や中小企業の資金繰り支援など、産業復興対策も盛り込んでいる。

 一方、復興経費の財源調達には課題が残る。5年間に投じる19兆円のうち、財源確保が新たに必要になったのは15.5兆円。これを10.5兆円の住民税や法人税などの臨時増税と5兆円の税外収入で賄うというのが当初計画だ。

 問題は5兆円の税外収入をいかに確保するか。この中の6000億円分は国家公務員の給与削減で調達する予定だが、実現するためには給与を平均7.8%下げる必要がある。関連法案は与野党協議の不調で依然として成立していない。