リーマン破綻翌日、FOMCなお楽観視 議事録公開
2014/2/22 10:49
米連邦準備理事会(FRB)は21日、
2008年に開いた米連邦公開市場委員会(FOMC)の議事録を公表した。
大手証券リーマン・ブラザーズが破綻した翌日の9月16日の会合で、
バーナンキ議長(当時)は「現行の政策金利の水準は適切」と述べるなど、
FRBが金融危機の広がりをなお過小評価していたことが明らかになった。
FRBは会合から5年経過後に1年分のFOMC議事録をまとめて公表している。
今回公表された08年はベア・スターンズ救済、リーマン破綻、事実上のゼロ金利政策、
量的緩和の導入など金融危機がピークに達し、
FRBが異例の政策対応を始めた時期にあたる。
9月16日の会合では、リーマン破綻の市場への影響を警戒する声は出た。
ただ、金融政策についてはバーナンキ議長が「今年初めの利下げは適切だった」と述べ、
追加利下げはすぐには必要はないとの判断を下した。
議長は追加利下げが「ドル相場や商品相場に及ぼす影響」も考慮すべきだと指摘した。
ブラード・セントルイス連銀総裁は
「政府系住宅金融機関、リーマン、メリルリンチという3つの不安要因が解決された。
これは経済にはプラスだ」と楽観的な見解を示した。
現FRB議長で当時はサンフランシスコ連銀総裁だった
イエレン氏は「経済の下降リスクを懸念する。
インフレのリスクは減っている」と述べたものの、政策金利の維持には同意した。
この会合以降、金融危機が世界経済に深刻な打撃を及ぼすことが明らかになり、
FRBも危機感を強めた。
08年10月は欧州の中央銀行などとの協調利下げといった追加緩和に動き、
同12月には事実上のゼロ金利政策を導入した。
危機時の議事録が示す金融政策の宿命
14/2/22 10:50
2014/1/31 2:00 日本経済新聞 電子版
2006年から8年にわたって米金融政策の手綱を握ったバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長が
31日、退任する。 経済学者から中央銀行に転じ、未曽有の金融危機への対応の最前線に立ったバーナンキ氏。
金融危機が大恐慌に転じるのは食い止めたが、異例の金融緩和策で試行錯誤を余儀なくされた。
■試行錯誤の8年
「実践としては機能したが、理論通りには機能しなかった」。
1月16日、ワシントンでの講演で量的金融緩和に触れたバーナンキ氏の言葉には、
学者から中銀の実務家に転じた苦労が凝縮されている。
学者時代に大恐慌を研究し、
1930年代のFRBの不十分な金融緩和が恐慌を深刻にしたという教訓を導いた。
日銀の金融政策も厳しく批判。
デフレ脱却に国債などの資産購入や、為替介入など積極的な政策をとるよう提言した。
06年の議長就任から1年半後の07年に米サブプライム危機が発生。
08年のリーマン危機後には、政策金利をほぼゼロ%まで下げ、
量的緩和という非伝統的政策に踏み出したが、
その道筋は学者時代の提言のように簡単なものではなかった。
国債などの購入で、
FRBの総資産は危機前の8000億ドル(約80兆円)程度から直近では4兆ドルに膨らんだ。
緩和策の中身も試行錯誤を重ね、量的緩和は現在実施中の第3弾にまで及んだ。
リーマン危機から5年が過ぎ、株価や住宅など資産価格は回復したが、
景気回復の勢いは過去の回復局面に比べると鈍い。
物価上昇率もFRBの目標の2%を下回る水準が続く。
異例の金融政策は、リーマン危機後の市場安定策として威力を発揮したが、
需要創出には期待されたほどの効果がなかったという批判は米学界やFRB内にもある。
議会では共和党を中心にFRBの政策を批判する声があがった。
量的緩和と並ぶ政策の柱に据えた将来の金融政策の道筋を示す
「フォワードガイダンス」でも、市場との対話がぎくしゃくする場面があった。
■透明性に腐心
バーナンキ氏は「開かれたFRB」を推進した。
独裁的な政策運営が目立ったグリーンスパン前議長の路線を転換。
米連邦公開市場委員会(FOMC)で自由な議論を促し、
議長記者会見や経済・物価見通しの公表も始めた。
この8年間でFRBから発信される情報量は飛躍的に増え政策の透明性は高まったが、
FOMCのメンバーが自由に発言しすぎて、かえって混乱を招くという批判もある。
「支持40%、不支持35%、わからない25%」。
ギャラップ社が25~26日に実施した世論調査ではバーナンキ議長の仕事への評価は大きく割れた。
1930年代の大恐慌時代の中央銀行の失敗を研究した
ライアカット・アハメド氏(ブルッキングス研究所理事)は
「FRBとして経済回復のために可能な限りの実験をしたことは評価すべきだ」と指摘する。
29日、昨年12月に続いて量的緩和の縮小を決めたバーナンキ議長。
異例の緩和策の出口へ踏み出したが、
金融政策の正常化という課題はイエレン次期議長に委ねる。
バーナンキ時代の評価も、その成否に左右されることになりそうだ。
「ヘリコプター・ベン」 バーナンキFRB議長の8年
2014/1/30 9:30
米連邦準備理事会(FRB)は29日まで米連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、
昨年12月に続いて2会合連続で量的金融緩和の縮小を決めました。
市場で購入する長期証券の金額を2月から100億ドル減らし、月650億ドルとします。
バーナンキFRB議長は1月末で退任します。
バーナンキ氏は議長就任前の学者時代に
「不景気になれば、ヘリコプターからドル札をばら撒けばよい」と発言。
就任後、量的緩和政策を実行に移し、「ヘリコプター・ベン」の異名をとりました。
今後、FRBがイエレン新議長のもと、
世界経済に深刻な打撃を与えることなく緩和縮小できるか否かで、
バーナンキ氏の歴史上の評価も大きく変わることになるでしょう。
バーナンキFRB議長の8年間を振り返りました。
リーマンまさかの破綻劇 土壇場で英が「待った」
2013/9/1 2:00 日本経済新聞 電子版
総資産60兆円超の巨大証券は大き過ぎてつぶせない。だれもがそう考えていた。
2008年9月15日、「まさか」の破綻劇に世界は揺れた。
米政府はなぜ、リーマンを救わなかったのか。その答えは、
公的資金を巡る米英の思惑のすれ違いにあったことが関係者の証言でわかった。
■CEO緊急招集
9月12日金曜日の夕方、ニューヨーク連銀本部に黒塗りの高級車が次々と横づけになった。
JPモルガン・チェース、ゴールドマン・サックスなどウォール街の
主要金融機関9社の首脳らが足早に館内に入った。
招集をかけたのは、米財務長官ヘンリー・ポールソン。
ニューヨーク連銀総裁ティモシー・ガイトナー、
米証券取引委員会(SEC)委員長クリストファー・コックスとともに、
リーマンの資金繰り悪化を説明し、休日中に解決策をまとめてほしいと訴え、
こう付け加えた。「公的資金は絶対に使わない」
半年前の3月、資金繰り難に陥った米証券5位ベアー・スターンズを米政府は事実上救済した。
ベアーの不良資産をニューヨーク連銀が実質的に引き取り、JPモルガンによる買収を後押しした。
だが、高額報酬をはむウォール街をなぜ税金で救うのかと米議会が反発、
ベアー救済もやり玉にあがっていた。
「次は4位のリーマンが危ない」。この半年、リーマンは追い詰められていた。
商業用不動産投融資の失敗がささやかれ、
ヘッジファンドは契約を解除、銀行も融資に担保を求め出した。
最高経営責任者(CEO)リチャード・ファルドは出資者を求め、
韓国産業銀行(KDB)などの名前が浮かんでは消えた。
まだ2つの大手銀行がリーマン買収に関心を示していた。
その一つ、バンク・オブ・アメリカが証券3位メリルリンチの買収に転じると、
交渉は英バークレイズに絞られた。
米国での証券業務拡大を目指す社長のロバート・ダイヤモンドは乗り気だった。
13日土曜日の夜、計画ができた。
損失を抱える不動産部門を分離、残った健全部門に約5000億円を出資する。
資金の一部は提携する三井住友銀行に出してもらう手はずも整えた。
■一旦は交渉成立
問題は不動産部門を誰が引き受けるか。
14日日曜日の朝、ニューヨーク連銀に再び集まったウォール街の首脳が決断した。
不良資産の受け皿機関に10社強が総額3兆円強を融資する。
損失を肩代わりするに等しいが、
リーマン破綻で自らに跳ね返る損害を考えれば、コストは小さいと判断した。
交渉成立の報は、東京の三井住友にも伝えられた。
だが、直後に舞台は暗転する。
英金融サービス機構(FSA)が「規定で臨時株主総会が必要だ」と、くぎをさしてきた。
時間の余裕はなかった。
「適用除外にできないか」と米側が求めると、
英FSAは「本件は財務相の案件だ」とさらりと突き放した。
ポールソンらは怒りを爆発させたが、英政府に買収を承認する意思はなかった。
リーマンは15日月曜日午前1時45分、米連邦破産法11条の適用を申請した。
英国にも言い分があった。
買収の発表から完了までの間、バークレイズはリーマンの取引を保証する必要があった。
米政府支援がない状態でリスクをとれば、
英国民の税金で米証券の損失を処理しなければならない事態も想定される。
国内世論の批判に耐えられなかったはずだ――。
国際通貨基金(IMF)の元幹部はそう解説する。
金融はグローバル化しているのに監督は国ごと、危機対応のコストは各国納税者が負う。
税金投入につながる公的支援にはただでさえ世論の反発があるが、
格差批判の高まりが政治判断をより慎重にさせていた。
市場と政治の溝がかつてなく広がり、世界中がのみ込まれたのがリーマン危機だった。
その構図は今も変わらない。
リーマン破綻直後の動きを振り返る 2013/8/26 2:00
2008年9月15日、米証券大手リーマン・ブラザーズが米連邦破産法の適用を申請、
経営破綻。
その発端となったのは
米国のサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)の焦げ付き問題。
当初、日米政府・金融当局の見通しは甘く、
破綻の影響は限定的とにらんでいたが、
直後に、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という金融商品を
世界の金融機関に販売していた米保険最大手AIGの経営危機と米政府による救済劇に発展。
世界同時株安・信用収縮が一気に進行し、世界経済は奈落の底へ沈みかけることになった。