2012年5月28日月曜日

枝野スポークスマン担当、原発事故参考人招致

枝野氏“情報発信十分でなかった”
5月27日 18時15分


枝野氏“情報発信十分でなかった”
東京電力福島第一原子力発電所の事故の際に、政府のスポークスマンの役割を担った枝野経済産業大臣は、
国会の調査委員会に参考人として出席し、「情報を政府として集約すること、
そしてその後の予想や想定ができなかったことこそ、反省だと思っている」と述べ、
政府の情報発信が十分でなかったことを認め、陳謝しました。

国会の原発事故調査委員会は、27日、事故当時、官房長官として、政府のスポークスマンの役割を担った枝野経済産業大臣を参考人として招致して公開で質疑を行いました。
この中で、枝野氏は、政府の情報発信について、「情報発信そのものよりも情報を政府として集約すること、そしてその後の予想や想定ができなかったことこそ反省だと思っている。放射能の影響などについて、私の思っていたことと、特に被害を受けられた周辺地域のみなさんの受け止めとの間にずれがあったことは、改めて大変申し訳なく思っている」と述べました。
そのうえで枝野氏は、避難区域の設定について、「すぐに戻れるつもりで避難したものの、長期にわたり一時的にすら戻れない人がいる。避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかったことが、結果的により大きな苦労をかけた。大変忸怩(じくじ)たる思いだ」と述べました。
また、枝野氏は、東京電力や原子力安全・保安院などとの連携について、「必ず発表することは、同時に総理大臣官邸にも報告してくれと言ったが、発表前に承認を求めるということではない。とにかく分かったことは全部出せと、政府内部や東電にも指示していたが、指示が徹底していなかったということで、忸怩たる思いだ」と述べました。
さらに、枝野氏は、菅前総理大臣が、事故直後に現地を視察したことについて、「『邪魔になったのではないか』という抽象的、感情的な政治的批判は免れないので、『とてもおすすめできない』という趣旨を進言した。しかし、菅総理大臣は『できるだけベストに近い対応をする動きが大事だ』という趣旨のことをおっしゃったので、政治的なリスクを分かったうえで対応されるならば、そこは総理の判断だ」と述べました。
このほか、枝野氏は、現場からの作業員の撤退を巡って、東京電力が総理大臣官邸に全員の撤退は打診していないとしていることについて、「清水社長との正確なことばのやり取りまでは覚えていないが、『そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する』と私が指摘したのに対し、清水社長は、口ごもった答えだったので、部分的に残すという趣旨でなかったのは明確だ」と述べました。
また、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI(スピーディー)」のデータの公表が遅れたと指摘されていることについて、枝野氏は「私がスピーディーというシステムがあるということを知ったのは、震災後の15日か16日くらいだったと思う。シミュレーションしていたのに、報告が上がらず、公表されなかったことが、まさに信頼を損なっている大きな原因になっていると思う」と述べました。
さらに枝野氏は、アメリカから、総理大臣官邸に常駐したいと申し入れがあったことについて、「アメリカは情報がないといらだっていた。官邸は、我が国の国家主権の意思決定をする場所であり、国家主権としての意思決定に、外国の政府関係者が直接関わるということはありえない。『官邸の中に、常駐というのは、勘弁してほしい』と申し上げた」と述べました。
国会の原発事故調査委員会は、28日は、菅前総理大臣を参考人として招致して、質疑を行うことにしています。
黒川委員長は、委員会のあとの記者会見で、「きょうの議論を通じて、枝野氏が政府の情報収集や国民への情報伝達にも問題があったと認識していたことや、震災発生後、東京電力から総理大臣官邸に重要な情報が入らず二転三転したことに、官邸がいらだっていた様子などが明らかになった。今後もオープンな議論を続け、来月中には事故の原因を解明する報告を行えるよう努力したい」と述べました。

問われた政府の情報収集と発信の在り方

福島第一原発の事故では、当時、官房長官だった枝野氏は、政府の対応や住民の避難について記者会見を行いましたが、事故が急速に進展する一方で、発表では住民に不安を与えないための表現が目立ち、政府の情報の収集や発信の在り方が問われました。
枝野氏は、福島第一原発で事故が起きた去年3月11日午後7時半すぎ、政府が「原子力緊急事態宣言」をしたことを説明する記者会見を行いましたが、この際、地元住民に対し「現時点では直ちに特別な行動を起こす必要はない」として、あわてて避難を始めないよう呼びかけました。
また、同じ3月11日の午後9時20分すぎに、福島第一原発から半径3キロ以内の住民に避難を指示した際にも、枝野氏は、「避難の指示は『念のためのものだ』」と説明し、事故の詳しい状況や避難は長期的になることを十分に説明していませんでした。
しかし、事故後の去年6月に国の原子力安全・保安院が行った解析によりますと、福島第一原発の1号機の原子炉では、最も早く進んだ場合、地震から3時間余りたった午後6時ごろに炉心損傷が始まり、地震から5時間余りたった午後8時ごろには核燃料が溶け落ちるメルトダウンが発生し、原子炉が損傷した可能性があるとしています。
福島第一原発では、事故が急速に進展する一方で、枝野氏の発表では「直ちに必要ない」「念のため」といった住民に不安を与えないための表現が目立ち、政府の情報の収集や発信の在り方が問われました。
民間の事故調査委員会の報告書でも、「政府は原子力災害時のリスクコミュニケーションの難しさを認識したうえで、広報体制を調整し、必要とされる情報を的確に発信できるよう検討を進める必要がある」と指摘しています。

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