2012年6月17日日曜日

汚職まみれ国 ギリシャ(オスマン帝國支配と東西冷戦)

ユーロはどこかで間違ったのか ギリシャから読み解く

                                                            2012/6/17 15:37

6月17日のギリシャ再選挙を、後世の歴史は何と記すだろう。
「ユーロ瓦解の始まりのXデー」か、それとも「統合深化の記念日」か……。
ユーロの歴史を理解すれば、今日の危機の実相が見えてくる。
「核ボタンは押さないことが双方のメリットだ」。
17日のギリシャ再選挙に向け、英国のテレビ番組に登場した急進左派連合(SYRIZA)のアレクシス・ツィプラス党首。「ギリシャがユーロを離脱したら、翌日にも、マーケットは次の獲物を探し始めるだろう。
次はイタリアかな」。緊縮財政をこれ以上押しつけるなと言わんばかりに、言外にドイツを脅した。
そのドイツでは、国債 のクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)保証料率がじわじわ上昇している。
12日には1.08%と、過去最高水準の1.16%(昨年10月)も視野に入ってきた。
CDS市場は、いずれドイツは反緊縮派に一定の譲歩を迫られ財政負担が増す、と予見しているようにもみえる。
ギリシャ増長の理由
経済規模も人口も欧州連合 (EU)全体の2~3%にすぎない小国が、
もう2年半も世界を振り回し続けている。
  再選挙の節目を機にユーロの歴史を振り返れば、
債務危機の火元は他国からの庇護(ひご)に慣れきったギリシャの国民性と、
そんなギリシャを共同体に迎えざるを得なかった欧州の「時代の要請」という2点に行き着く。
ギリシャは19世紀前半の独立戦争で400年に及ぶオスマン帝国の支配を打ち破った。
その際、英国の詩人バイロン卿やフランスの画家ドラクロワら多くのインテリが立ち上がり、
ギリシャ支援の国際世論を盛り上げた。
 独立後には欧州諸国から巨額の借款も得ている。
手厚い支援の背景には欧州の源流、古代ギリシャ文明に対する人々の憧憬があったのだろう。
ギリシャが、国ごとに異なるユーロ硬貨の絵柄に選んだのは、
「ヨーロッパ」の語源となったギリシャ神話の女神エウロペだ。
一方、1967年から74年までの軍事独裁政権で経済的に後れをとったギリシャが、
81年という比較的早いタイミングでEUの前身、欧州共同体(EC)に加盟できた背景には、米ソ冷戦があった。
 79年にソ連がアフガニスタンに侵攻。
ギリシャはソ連の黒海艦隊の出口に位置し、
しかもロシアと同じ正教国のため「欧州陣営に引き込んでおかなければ、
ソ連と接近し脅威になるという政治的思惑が働いた」と中央大学の田中素香教授は説明する。
こうした「特別扱い」はやがて、
パパンドレウ・ギリシャ元首相が「我が国は頭の先から足の先まで汚職まみれの国だ」
と公言するほどの汚職・脱税・公務員天国の素地になっていった。
労働人口の4分の1に達する公務員の平均月給は、民間若年層の2~3倍。
「時間通りに出勤した手当」など破格の手当も多かったというから、財政破綻は時間の問題だった。

「入るはやすし、出るは難し」というユーロの立て付けにも問題がある。

ユーロの加盟条件は4つ。「財政赤字が国内総生産 (GDP)比で3%以内、政府債務残高が同60%以内」という財政要件のほかに、金利、物価、為替についての条件がある。ユーロ創設を規定したマーストリヒト条約 (93年発効)の名をとって「マーストリヒト収れん基準」と呼ばれる。


もし、この基準が厳格に運用されていれば問題国が通貨統合に紛れ込む余地はなかった。ところが「条文は柔軟な解釈が可能で、実際、極めて緩やかに弾力的に適用されてきた」と神戸大学の久保広正教授はいう。財政赤字は3%に「comes close to(近づいている)」ならOK、政府債務残高も60%に「approaching(向かっている)」ならOKととれる文言だ。

なぜ緩い運用なのか。そのヒントも時代背景にある。マーストリヒト条約が発効する前年の92年は、英ポンドが暴落したポンド危機のあった年だ。通貨危機はその後、メキシコのペソ、アジア、ロシアのルーブル、ブラジルのレアルに波及。国境を越えて暴れ回る投機マネーに対抗するために、欧州はより広範な通貨同盟を求めたのだ。

ユーロに離脱規定なく

出るは難しは、ドイツを抱き込むための産物といえた。89年のベルリンの壁崩壊後、「強大なドイツをどう抑え込むか」は欧州共通の課題となった。それにはドイツが独り歩きしないようユーロ圏で連帯させる必要があった。だからユーロには、離脱規定がない。

ユーロから離脱したければ、EUの基本条約であるリスボン条約の決まりに従い、EU自体から離脱する必要があると解釈されている。ただ、EUからの足抜けも簡単ではない。

脱退国はまず自ら手を挙げ、欧州議会 の同意を得たうえ、人口などに応じ国ごとに投票権を案分した「特定多数決」(持ち票はドイツ29票、フランス29票、スペイン27票、ギリシャ12票など)で他の加盟国からの承認を得る必要がある。条約は「脱退(withdraw)できる」という文言で、自発的に望まない国を追い出すこと(kick out)はできない。

通貨ユーロ導入を控え、町は期待感に包まれていた(1998年、フランス)=AP
市場の大きな関心の1つは、ユーロ加盟国がこの先財政統合やユーロ圏共同債の発行まで踏み込んでいくかだ。東ドイツを統一し、中東欧の低賃金な技術者を取り込み、ユーロ安で輸出を伸ばし、欧州統合の恩恵に最もあずかったドイツが動くかにかかっている。


ユーロは前身のEMS欧州通貨制度 )時代から崩壊の危機を迎えるたび、大物政治家の英断で危機を乗り越えてきた。選挙公約を曲げてまで緊縮財政の道を選びEMSに残留したミッテラン元仏大統領、東西ドイツ統一後にマルクを捨ててユーロを選択したコール元西独首相。同じような歴史的決断をメルケル独首相はできるだろうか。

負担増をあからさまに嫌うドイツの姿に、英断を期待する投資家は少ない。BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミストはEU、欧州中央銀行 (ECB)、国際通貨基金(IMF )のトロイカが当面、南欧への支援を続ける確率を「50%」と読む。ただしそれは財政統合など抜本策の伴わない「単なる時間稼ぎ」だという。打算と妥協を繰り返しながら長い時間をかけ、ここまで大きくなったユーロ。その歴史を踏まえれば「危機が短期間に解決するとは思えない。事態が安定するのに2010年代いっぱいはかかるだろう」と田中教授は予想する。危機は慢性化するおそれがある。

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