2012年6月20日水曜日

恥を知れ! 大飯再稼働福島第一原発「清水最高幹部は無責任男だ!」

2012年6月8日。この日は、原発史上においてどう評価され、後世に語り継がれることになるのか。世界最大の原発事故を起こした国のトップが、原発再稼働に舵を切った。そして、事故当時の電力会社社長があいまいな証言を繰り返した。共通することがある。「あまりに無責任すぎないか」ということである。

画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く──肝心なことが抜けていること。この言葉にふさわしい人物が、6月8日、国会の原発事故調査委員会に現れた。東京電力の清水正孝前社長である。焦点は、(1)海水注入中止の指示をしたのは誰か(2)東電は「原発からの全員撤退」を申し出ていたのか──の二つあった。

 まずは海水注入中止の点から見ていく。

 事故調の質問に対し、清水氏は、こう述べた。

「原子炉を冷やすことが最優先だと考えていた。(廃炉につながる)海水注入をためらってはいない」

「官邸に詰めていた武黒(一郎・東電フェロー=当時)から国の了解がないままに進めることはいかがと連絡が来た。それ(一時中断)を是認した」

 本誌は、『福島原発の真実 最高幹部の独白』(朝日新聞出版)でおなじみの福島第一原発(フクイチ)最高幹部に話を聞いた。清水氏の発言を聞いていた最高幹部は、強く握った拳が震えていた。

 廃炉をためらっていないって、そんなウソを言っていいのか。これを見てくださいよ。ここですよ。

そう言った最高幹部は、ファイルから数枚のペーパーを取り出した。指さした先には、こう書いてあった。「海水・廃炉、損失大、回避が最善」「(海水の)注水、判断苦し 現場はまったナシ。時間ない」

 これは、本店(東電本社)の幹部が書いた事故当時のメモで、私にコピーをくれた。そのとき、この幹部は私にこう言いました。

「海水を入れると廃炉になるので、トップが海水注入の決断を渋っていた。必死で闘う現場と本店の温度差を感じた」
その後、私もいろいろと本店で情報収集しました。「清水氏ら本店幹部が海水注入をすぐに決断できなかったのは間違いない」というのが私の結論です。
 海水注入の中断を誰が判断し命令したのか、は国会でも大きな問題になりました。フクイチの現場としては、あの時点では炉を冷やすしかない。ところが、本店は現場より国の意向ばかり気にしていた。原発を最もわかっているのは現場。菅(直人)前首相はじめ国は素人。しかし、清水氏は素人の意見を優先したことがはっきりしました。

 清水氏は事故調で、中断命令を“是認した”と言った。これは、現場の人間に死を宣告したことと同じです。現場を見殺しにする、前代未聞の無責任男だと、自分で認めたようなものです。

二つ目の焦点は、震災3日後の3月14日に2号機の原子炉の圧力が上昇した際、東電がフクイチからの「全員撤退」を申し出たのかどうか、だった。清水氏は、

「全員撤退は念頭にない。注水やベントに現場は立ち向かっていた。当時、現場には700人ほどいた。女性や事務の人もいたので、全員がいる必要はないという認識だった」

「最悪のシナリオの考えもあったが、全員撤退ということはない」

 と「全員撤退」を何度も否定した。さらに、枝野幸男官房長官(当時)が事故調で「全員撤退の申し出を受けた」と証言したことについて聞かれると、

「どうも記憶がよみがえってこない」

 と話し、肝心なところは記憶を失う一方で、

「菅首相が東電に来られ、『撤退すれば、東電は百%つぶれる』『60(歳)を超した幹部は現地へ行って死んでもいい』と。(首相の言動を見て)打ちのめされているんじゃないかというのが率直な感想だ」

 と、他人の批判になると記憶が鮮明になるのだから、驚かされる。

 本店が全面撤退を考えているらしい、という話は、当時耳に入っていました。しかし、そんなことはできるわけがない。相手にしなかった。現場としては作業に最低限必要な人数、ざっと70人を現場に残す想定を始めていた。私たちとともに、一緒に死を覚悟して残ってくれるメンバーの人選でした。残ってほしいと考える人物でも、「あいつはまだ子どもが小さいな」とメンバーから外したケースもありました。切羽詰まった状況に追い込まれていた。
 東京電力という日本を代表する会社の社長が、緊急時に現場がどう対応するのか、官邸に対して明確に伝えることができない。撤退と言ったのかも、はっきりしないという。こんな大事な問題の記憶すらない。

 こちらは命がかかっているような状況だった。たった一言、「一部、70人は残す」とだけ伝えていればこんな大きな問題にはならなかった。この人は社長として、現場をどう考えていたのか。この無責任さには、あきれるばかりです。

 事故直後から、清水氏ら本店の幹部たちの現場軽視の対応で官邸の東電不信はさらに高まったのでしょう。

 撤退をめぐって、官邸から直接、現場に電話がかかってきました。何度も、細野(豪志)補佐官(当時)から連絡があり、現場のトップが「撤退はない。がんばります」と言っていたシーンを見た。

 当時はなぜ現場に官邸からの電話があるのか、と思っていたが、この清水氏の証言を見て、理由がわかった。本店がアテにならない、信じられないということに尽きますね。

菅首相批判の後、事故調の委員に、電気事業連合会の会長としての対応や感想を聞かれた清水氏は、「差し控える」と証言、さらに、枝野官房長官とのやりとりについては「覚えていない」と繰り返し、会場から失笑が漏れた。

 感想や評価は述べないというのに、都合のいい場面ではしゃべり、悪くなるとはぐらかす姿は勝俣(恒久・東電会長)さんと同じだ。こんな人がよくトップとして指揮できたものです。

 事故調は最後に、「現場は一貫して、ずっと対応に取り組んできた」と現場の意見を評価してくれました。とてもうれしい。一方で、その評価と清水氏の証言を対比すると、話にならないほど情けない。あの無責任さにはあきれて、モノも言えません。

 清水氏が出席した事故調と同じ日、野田(佳彦首相)さんが大飯原発の再稼働に向けた会見をしました。でも、政府や電力会社の意向優先の再稼働では、いずれまた大きな問題になることは目に見えています。

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