2012年11月30日金曜日

デタラメ東電、新たな2回目TV会議映像公開 福島原発事故

東電、新たなTV会議映像公開 放水の経緯など
福島原発事故

日本経済新聞 2012/11/30 14:06

 東京電力は30日、福島第1原子力発電所事故後に記録した社内テレビ会議の映像を追加公開した。
新たに公開されたのは昨年3月16~22日と3月30日~4月5日の計約2週間分(計335時間54分)。
使用済み核燃料プールの水位が下がり燃料棒が過熱したため、
自衛隊のヘリコプターなどにより必死の放水作業を展開した経緯などが映っている。

 このうち、報道機関に映像データとして提供されたのは計約1時間51分の3つの場面で、
これらは東電のホームページにも掲載された。
原発敷地内にたまった汚染水を海洋放出した際の東電幹部の発言なども収録されている。
残りの映像は報道関係者らに閲覧だけを認めた。

 東電がテレビ会議映像を公開したのは、
事故直後の昨年3月11~15日の映像を今年8月に公開したのに続き2回目。
今回も一般社員らのプライバシー保持などを理由として、音声や画像に処理を施している。

 日本新聞協会などは東電に対し、映像を全面的に公開するよう求めている。

東電TV会議 汚染水放出の混乱浮き彫り
               NHK      11月30日 17時26分

 原発事故直後の対応が記録されたテレビ会議の新たな映像が公開されました。
この中には、去年4月、
関係機関への十分な連絡なしに汚染水を海に放出する決定をした際のやり取りがあり、
映像からは、政府や東京電力本店が現場の切迫感を十分把握できず、
追い込まれて放出を決断するという、当時の混乱ぶりが確認できます。

 新たに公開されたのは、事故から6日目の去年3月16日からの1週間と、
去年3月30日からの1週間の、およそ336時間分のテレビ会議の映像で、
原則、閲覧による公開で、ほかにおよそ2時間分が報道用に提供されました。
 この中には、冷却できなくなった使用済み燃料プールに
自衛隊のヘリコプターなどで放水した際のやり取りや、
関係機関への十分な連絡なしに汚染水を海に放出し、
国内外から批判を浴びた際の対応などが含まれています。
 このうち、汚染水の放出については、
政府や国会の事故調査委員会が検証結果を公表していますが、
実際に現場と本店や政府との間でどのようなやり取りがあったのか
十分明らかになっていません。
 今回の公開によって、その一端が見えてきました。
例えば、去年3月30日のテレビ会議では、
 現場の指揮官の吉田所長が、「水の問題がいちばん大きいことは、
すでに1週間近く言っている。限界だ。
何とかしてくれ」と、汚染水の海への放出も含めて、
緊急に対策を検討してほしいと本店に掛け合っていました。
 しかし、本店側の担当者は
「決して汚染水を外部に放出しないためにどうすればいいか検討している」と発言し、
現場の危機感との間にずれが生じているのが確認できます。
 その後、事態が悪化し、放出当日の去年4月4日午前9時のテレビ会議では、
吉田所長が「手足を縛られたなかで頑張れと言われても、到底頑張れない」と発言し、
状況が一変して、一気に海への放出が決まっていったことが分かります。
  一連のやり取りを見ると、政府や本店が現場の切迫感を十分把握できず、
汚染水の海への放出という極めて重大な決断を、
追い込まれて決めていった混乱ぶりが浮かび上がります。
 ただ、こうしたやり取りの多くは閲覧の映像の中にあり、
提供された動画の中にはほとんど含まれていませんでした。
 このほか、去年3月17日、3号機の燃料プールに
自衛隊のヘリコプターで上空から放水しようとした際のテレビ会議の映像には、
「来たぞ、4機目だ」、「ああ、霧吹きだ」などと、
冷却手段がなくなった燃料プールへの放水に期待しながら
見守るしかない現場の苦悩も見て取れます。
 

 今回の公開は、
ことし8月以来2回目で、事故対応の検証に欠かせないテレビ会議の映像について、
東京電力は事故から1か月に当たる去年4月11日までの分を公開する方針を示していて、
残る2週間分について、来年1月下旬をめどに公開するとしています。

汚染水放出に至った経緯は

汚染水の海への放出が決まるまでの経緯を、
政府や国会が設置した事故調査委員会の報告書の記述などからまとめます。
 発端は、事故から8日後の去年3月19日。
6号機の地下の電源設備がある部屋に
汚染水が流れ込んでいるのが見つかったことから、検討が始まります。
 「電源設備に被害が出ると、
重大な事故に至っていない5号機と6号機にも影響が及ぶおそれがある」。
こうした危機感から、
3月23日には、6号機の地下にたまっている汚染水を海に放出したいと、
初めて「海洋放出」を当時の保安院に伝えています。
 しかし、放射性物質の濃度が法令で定める基準より高かったため、
東京電力はいったん、「海への放出は困難」と判断します。
その後、6号機につながる立て坑の水が地下に流入していることが分かり、
今度は、この水の海への放出を検討しますが、こちらも濃度が高く、再び断念します。
 一方、この間に重大な事態が発生します。
3月24日、3号機の地下にたまった汚染水で、作業員3人が被ばくをする事故が起きます。
原子炉から流れ出た高濃度の汚染水がタービン建屋などにたまっていたことが原因で、
東京電力と国は特別チームを作り、汚染水への対策を本格化していきます。
 この中で、高濃度の汚染水を放置すれば、
立て坑から外に漏れ出るおそれがあるとして、移送先を確保することになり、
特別チームは3月28日、
別の施設にたまった比較的低い濃度の汚染水を海に放出する方針を固めます。
 これに対して、4月1日、特別チームの全体会議で、
「汚染水の海への放出は絶対にありえない」という強い意見が出されます。
 事態が変わったのはその翌日。
最も恐れていた、高濃度の汚染水の海への流出が起きたのです。
2号機の立て坑から、ピットと呼ばれる施設を通じて、海に漏れ出ました。
 この事態を受けて、翌4月3日に開かれた政府と東京電力の会議の席上、
「やむをえず低い濃度の汚染水を海に放出せざるをえないかもしれないが、
国民が納得できる説明が必要」という意見が出されます。
 そして、4月4日朝のテレビ会議で、
吉田所長が「手足を縛られたなかで頑張れと言われても、
到底頑張れる状況にない」と現場の状況を訴えると、
一気に海洋放出に傾き、
政府内での了承、原子力安全委員会からの技術的な助言など、
事務的な手続きが同時並行で進められ、
原子炉等規制法の64条に基づく「危険時の措置」と判断され、
海への放出が決まりました。
 こうした一連の経過について、
国会の事故調査委員会は「大量の汚染水の処理は当初より予測可能で、
十分な検討や対策が行われていれば、
海への放出を余儀なくされる事態は回避できた可能性が十分に考えられる。
 本店はふかん的、長期的視点から、現場を支援する役割を十分に発揮できなかった」
と指摘しています。
また、関係者の理解を完全に得られないまま放出したことについても、
「放出計画を適切に説明する時間的な余裕があれば、
こうした事態は避けられた可能性がある」と厳しく指摘しました。


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