2012年12月21日金曜日

吉田茂以来の再登板自民党総裁 安倍晋三

「第2次安倍内閣」と森内閣
永田町アンプラグド
               
                                                2012/12/21 6:00
 吉田茂以来の再登板となる自民党総裁、安倍晋三が26日に発足させる「第2次安倍内閣」の人事が次々と伝わる。首相官邸は側近や身内で固め、内閣には党総裁経験者を複数、配した重量級を並べる――。選挙期間中から自民党大勝が予想され、準備期間は十分にあった。思い起こされるのは安倍自身が官房副長官として首相官邸にいた12年前の森喜朗内閣だ。
解散が決まる衆院本会議に臨んだ安倍総裁と新政権で重要な役割を担う麻生太郎元首相 (11月16日)
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解散が決まる衆院本会議に臨んだ安倍総裁と新政権で重要な役割を担う麻生太郎元首相 (11月16日)
 衆院選翌日の17日、安倍は幹事長、石破茂の続投を明言した。党内や安倍周辺には「衆院で大勝し、参院選も取り仕切らせたら力をつけすぎる」と、石破を重要閣僚として閣内で処遇し、幹事長には側近の菅義偉を充てる構想もあった。だが、安倍は早々に「石破留任」を決断して党内がぎくしゃくする芽をつんだ。「お友達内閣」などとやゆされて終わった5年前の第1次内閣は、党も内閣も自らに近い仲間で固めた。その失敗を振り返ってのことでもある。
 副総理・財務相に元首相の麻生太郎、重要閣僚に前総裁、谷垣禎一と2人の総裁経験者を配し、副総裁、高村正彦は留任させる。いま伝わる人事構想の特徴は総裁経験者、派閥会長クラスも総動員したオールスター政権だ。「長く政権党を務めた自民党の強み。ここが民主党と違う」と党幹部はいう。総合力、重量級をうたう人事は自民党政権が得意としてきたところだ。近い例では2000年12月の第2次森改造内閣があげられる。

 翌年に参院選を控えていた森は当時、すでに内閣にいた元首相、宮沢喜一と元総裁、河野洋平に加えて元首相、橋本龍太郎を口説いて内閣へ迎え入れた。足元の官邸は官房長官、福田康夫と副長官の安倍という、福田派以来の「森派主流」で固めた。3人の総裁経験者が首相を支える挙党態勢である。もう一人のスター、小泉純一郎は「政策では支えられないが、政局では森さんを支える」との奇妙な理屈で森派会長にとどまり、内閣にも党にも入らなかった。

 盤石だったはずの態勢は、さまざまな要因が絡み合ってわずか4カ月で崩れ、小泉が登場して自民党を救う。小泉は5年半にわたった政権で、高い支持率と自らのカリスマを背景にトップダウン型の人事を進め、重量級やオールスターといった考え方をついにとらず、安倍にバトンタッチした。どんな人事が奏功するのかは、時代背景と宰相のキャラクターによるところが大きい。

 森が挙党態勢を推進したのは、党を二分した「加藤の乱」を鎮圧した直後だったからだ。その当事者、元幹事長の加藤紘一は16日の衆院選で落選し、加藤と組んだ元副総裁、山崎拓も派閥会長の座を前幹事長、石原伸晃に譲った。加藤、山崎との「YKK」で最初に名を売り出した小泉はすでに政界を去り、森も衆院選で引退した。時代は流れる。

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