2012年12月23日日曜日

小選挙区制の恐るべき前近代的前世紀的独裁政治弊害

自民を嫌い“ひどい民主”を選んだのはそもそも誰か?

 胸に刻むべき小選挙区制の怖さと政治へのバランス感


ダイヤモンドオンライン 2012年12月25日掲載) 2012年12月25日(火)配信
 
■まるでオセロゲームのコマめくりのよう3年前と激変した「民主崩壊、自民大勝」

 今回の衆院選挙の結果はそれなりに予想できたのだが、ここまで民主党が大敗するとは思っていなかった。政権与党である民主党は、自己の存在を否定されるような打撃を受けたことだろう。多くの国民は、約3年間の民主党政権の政策運営によほど大きな失望感を持ったということだ。

 政党別の獲得議席数を見比べると、自民党は国民から信認されたように見えるのだが、国民の心理はそれほど単純なものではない。

 たとえば、今回選挙の投票率は史上最低水準だった。おそらく国民は、わが国の政治に大きな期待を持っていなかったのだ。「多くを期待できない政治に、大切な時間を使っても空しいだけ」との意識があったと見られる。

 ただ今回の選挙で、「いくらなんでも民主党政権はひどい」という意思表示だけはしておくべきだと考えたのだろう。その結果が、自民党に政策運営を委ねるという格好に落ち着いた。だから、自民党も選挙結果の上に胡坐をかいていると、今後の実績次第では民主党の二の舞ということは十分にあり得る。安倍総裁自身もそうした発言をしている。

 もう1つ、我々が今回の選挙から学ぶべきことは、小選挙区比例代表並立制という現行の選挙制度の怖さだ。小選挙区制では、特定の選挙区で、対立候補よりも1票でも多くの票を獲得した候補者が勝者になる。

 逆に言えば、ライバルと1票差であっても落選するのである。
そうした選挙制度の下では、結果がどうしてもそのときの雰囲気や流れに左右されやすくなる。

 今から3年数ヵ月前の選挙で、国民は圧倒的に民主党を支持した。当時は“反自民”、あるいは“嫌自民”の流れがあり、それに乗っかる格好で多くの票が民主党に流れ、民主党政権ができ上がった。

 ところが、民主党は国民の期待を大きく裏切り、上手く表現できないほどの失望感を与えた。その結果は、今回のオセロゲームのような選挙結果に結びついた。選挙とは恐ろしいものだ。

「有権者の失望感」×「小選挙区制」
の図式が生み出す選挙結果の大変化

今回の選挙結果を総括すると、「有権者の失望感」×「小選挙区制」=「選挙結果の大変化」という構図を描くことができる。
つまり、有権者の失望感による投票行動と、小選挙区制という振れ幅の大きい結果を生みやすい制度の相乗効果によって、まさにオセロゲームで白が全て黒に代わるように、国民を失望させた民主党が壊滅的に議席を失い、何も変わっていない自民党が信じられないほどの議席を獲得したのである。
今から3年数ヵ月前の選挙で、多くの国民は民主党を圧倒的に支持した。結果として、実現が難しいマニフェストの美辞麗句や、耳触りのよい選挙演説に誘引されたことになる。そこには、自民党政治に対する反対の感情もあっただろう。
国民の選択は、当時の民主党を圧倒的多数で支持し、同党に政策運営を委ねた。ところが、約3年間の民主党の政策運営を見てきた結果、「とても民主党には任せられない」という結論を得た。
そして国民は、今回の選挙で誤りを犯したことを自ら認めたのである。有権者である我々は、3年数ヵ月前に大きな間違いを犯したことを肝に銘じる必要がある。当時、何故民主党の政策運営能力の欠如や、党としての意見集約ができない点を適正に評価できなかったのだろう。その点については、有権者サイドにも重要な責任がある。
労働組合をベースに、旧自民党系の広範囲な政治家たちを、反自民のロジックの下で糾合してでき上がった民主党は、“数の論理”を駆使して当初の目論見であった政権奪取に成功した。しかし、いざ政権を取ってみると、実務者が少なく、政策運営能力に乏しいことが明確になった。特に、鳩山、菅と続いた二代の首相に関しては、海外からも厳しい批判が上がるほどだった。
「民主党がひどい」という前に、彼らを選んだのは我々有権者であったことを、胸に手を当てて考えなければならない。

小選挙区制が招く政権不安定化リスク
「間違い」は国民自身に跳ね返る


 もう1つ、今回の選挙の教訓がある。それは、小選挙区制の怖さだ。現在のわが国の選挙の仕組みでは、今回のように白がほとんど全て黒に代わるような大変化が起きる。そうしたリスクを、我々はよく理解する必要がある。

 選挙結果が大きく振れること自体は、必ずしも悪いことではないかもしれない。政策運営能力のない政党が政権の座に安住することは、国民に大きなマイナスの効果を及ぼす可能性がある。それを防ぐためには、そうした政党を政権の座から追いだす必要があるからだ。

 しかし、選挙結果が大きく振れることは、政権担当の政党が短期間に代わる可能性が高まることを意味する。政権政党がころころ変わると、国として政策の一貫性を保つことが難しくなる。

 特に外交政策などに関しては、長い目で見た運営が必要になることが多い。そうした観点から見ると、現在の小選挙区制度を基礎としたわが国の仕組みには、無視できないリスクが潜んでいる。

 もともと小選挙区制度は、二大政党制に移行するために導入された仕組みだ。主な提唱者は、今回、未来の党で多くの議席を失った小沢一郎氏だという。そうして導入された政治の仕組みなのだが、わが国の政治状況を見ると、今のところ単純な二大政党制の方向には進んでいない。

 民主党と自民党という対立軸ができたかと思ったら、党利・党略に絡んだ様々な思惑を背景に、10を超える政党ができ上がってしまった。政党名を正確に記憶することすら難しい。当初の目的と違った方向へ動いている。

 しかも、選挙のたびに結果がこれだけ大きく振れる。国民が「結果として間違えてしまった」というのであれば、そのデメリットが国民に振りかかってくる。我々は、そうしたリスクがあることを自覚すべきだ。

将来世代も見据えた投票行動が重要に
政治に対するバランス感覚を持つべき


 最近の選挙に関する一連の流れを見ると、これから我々が考えなければならない点が2つあると思う。

 1つは、わが国の政治家の質の問題だ。前回の選挙で、民主党はほとんど実現不可能に近いようなマニフェストをつくり、喧伝した。もちろん、国民の多くはそれを鵜呑みにすることはなかっただろう。しかし、結果として、政策運営能力があまりあるとは思えない民主党に政権を委ねることになった。

 そうした事態を避けるためにも、まず、我々は日本の政治家の質について考え直す必要がある。結論から先に言えば、全幅の信頼がおけるような政治家はあまりいないことを、肝に銘じるべきだ。

 民主党の鳩山元首相は、沖縄の基地移転やエネルギーの問題について物議を醸すような発言を繰り返した。そうした発言を信じたい気持ちはあるだろうが、現実の問題として、多くの発言は絵に描いた餅で終わることが多かった。「わが国の政治家のクオリティはその程度」と、早めに悟ったがよい。マニフェストにしても、政治家自身も本気で実現できるとは思ってないかもしれない。

 もう1つは、我々自身が政治に関してバランス感覚を持つことだ。わが国の政治家に大きな期待をかけることが難しいのであれば、我々自身が政治のバランス感覚を持った方が良い。

 3年前、あれほど自民党を嫌って政権経験のない民主党を大勝させる一方、今回はオセロゲームのように政治状況をひっくり返してしまう。それでは、しっかりした政治体制を実現することはできない。

 むしろ我々自身が、長期的に国にとってのメリットを考えて行動すべきだ。人間は、とかく目の前にあるメリットを享受したいと思うものだ。そのため、短期的な恩恵を与えてくれそうな政党に支持が集中しがちだ。しかし、それではこれからも、長期的視点に立った国の将来像が描けない。

 時に自分たちが短期的に痛手を受けたとしても、子どもたちやその次の世代のことを考えて、意思決定をすることが必要だ。そうした姿勢を選挙のときも示さなければならない。そうでないと、次の世代が希望を持って生きられる国にはなれそうもない。

自民圧勝をもたらした小選挙区制の意義と

民主・第三極の選挙戦略を評価する


ダイヤモンドオンライン 2012年12月19日掲載) 2012年12月19日(水)配信
 
■「風」なき自民党の地滑り的大勝利:小選挙区制の威力を、肯定的に考える

 衆議院総選挙で、自民党(294議席)と公明党(31議席)で325議席を獲得した。参院で否決された法案を衆院で再可決できる、3分の2以上の議席数を確保する、圧倒的な大勝利だ。しかし、今回の総選挙は2005年・2009年と異なり、自民党に「風」が吹いたわけではなかった。民主党政権の失政に対する「懲罰」として、自民党が消極的に選択されただけだ。それがこれだけの圧勝となったことで、国民の間に戸惑いが広がっているようだ。

 小選挙区制が、自民党(296議席)→民主党(308議席)→自民党(294議席)と振り子のように第一党を入れ替える威力を持つことは、よく知られてきた。だが、これまでは「風が吹いた」選挙だったために、その本当の威力が隠されてきた。今回は、「風」が吹かなかったにもかかわらず、自民党の地滑り的大勝利となったことで、国民は改めて小選挙区制の凄まじさを認識させられたといえる。

 個人的には、今回の結果は想定の範囲内で驚きはない。しかし、巷には小選挙区制に対する批判が広がり始めているようだ。批判は、振り子のように議席数が増減するだけではない。自民の獲得議席数が、比例代表では定数の3割程度なのに、小選挙区では定数の8割を占めているように、自民党が衆院選で獲得した圧倒的な議席数が、民意と乖離しているという批判もある。
更に、小選挙区制では選挙区で1位になった候補者だけが当選し、たとえ1票差の接戦でも2位以下はすべて落選となり死票だらけになることも、民意の反映という点で疑問を呈されている。今後、中選挙区制の復活や比例代表制の拡大の主張が展開されていく可能性は高い。

 だが、この小選挙区制の威力は、むしろ肯定的に考えるべきではないだろうか。日本政治では、少数意見が過度に尊重され過ぎてきた。中小政党が、少数者の利益を強引に実現しようとしてきたことが、歴代政権の意思決定を混乱させ、財政赤字拡大を招いてきたのだ。今の日本政治に必要なのは、財源を考慮してさまざまな政策の優先順位を付けた包括的な政策パッケージを作る「政権担当能力」を持つ大政党であり、大政党に議会での安定多数を与えて円滑な意思決定を可能にする小選挙区制なのである
 
衆院で3分の2を超える議席を得て、安倍晋三新首相が強引な政権運営を行うのではないかという懸念がある。だが、新首相が強引な政権運営をしたいなら、やりたいようにやればいいのではないだろうか。但し、それが失政に終わったら、国民によって次期衆院選で容赦なく政権の座から引きずり降ろされるのだ。いや、それだけではない。たとえ現職の閣僚であっても、落選の危機に晒されてしまうのである。小選挙区制が続く限り、政治家は想像を絶する緊張感から逃れることはできない。しかし、この緊張感こそが、政治の質を向上させていくのだと考える(前連載第34回を参照のこと)。

「風」だけで政治は続けられない:
地道な活動の継続が政治家を育てる

小選挙区制だと、「風」で選挙結果が決まるため、まじめに政策を勉強する必要がなくなり、政治家が育ちにくいという批判もある。しかし、「第三極」と呼ばれた中小政党が、「日本維新の会」「みんなの党」を除くとほぼ壊滅した今回の選挙結果から見えるものは、「これでは政治家が育たない」というような、嘆かわしい状況ではない。
今回、自民党で2009年総選挙の落選から復活してきた者や、民主党で厳しい選挙戦をなんとか生き残ってきた者は、地道な政治活動の継続によって、世論の動向に左右されない地盤を築き、確固たる政策志向を持った政治家が多い。落選後に地道な活動を続けた、かつての「小泉チルドレン」が、今回復活してきている。
また、消費増税を実現させた財務相であった安住淳氏、震災対応に汗をかき続けた細野豪志氏などは、逆風にかかわらず圧勝している。本当に仕事をしてきた政治家は、きちんと国民に評価されているのだ。小選挙区制度下の厳しい環境でも、いい政治家はしっかり育っているのである。
逆に、第三極に走った者は、「風」だけでやれるほど政治は甘いものではないという厳しい現実を突き付けられた。特に、民主党からの離党者に言いたいことがある。彼らの選挙区の結果を検証すると、「民主党候補+離党者の得票数」の合計が、当選した自民党候補に勝っている選挙区は少なくない。

 もちろん、「分裂選挙」にならなかったら勝っていたと単純には言えないだろう。しかし、少なくとも言えることは、離党者が我慢して党内に留まって選挙を戦っていたら、生き残れたかもしれなかったということだ。離党してなんとか「救命ボート」に乗れば選挙で生き残れるというのは、実に浅はかな考えであった。離党者は、甘い考えでは政治はできないという現実を、厳粛に受け止めるべきである。

大惨敗でも、
野田首相に対する評価は変わらない


 野田佳彦首相が、総選挙大惨敗の責任を取って民主党代表の辞任を表明した。首相は国民の厳しい「審判」を受けたのは間違いない。だが、国民は政治家の「歴史的な評価」までは下せない。それは、将来の歴史家が下すものだ。

 この連載では、野田首相による消費増税実現を高く評価してきた(第40回を参照のこと)。「ねじれ国会」と党内の分裂という困難を乗り越えて、自民党・公明党との三党合意を成立させ、国会議員の8割の賛成により不人気な増税を実現させた政治手腕は驚嘆に値するものである。その高評価は、たとえ選挙で大敗しようとも、揺るぎないものだ。

 これまでも、不人気な政策に果敢に取り組み世論の批判を浴びた政治家が、後に高評価を受ける事例は多数存在する。例えば、1989年に竹下登首相(当時)が消費税導入を実現した時も、世論の厳しい批判に晒された。リクルート事件というスキャンダルの発覚もあり、竹下内閣は消費税法成立と同時に総辞職した。しかし、現在では消費税導入という難題を成し遂げた竹下氏の「政治手腕」は、極めて高く評価されている。野田首相も後世において「あの時、増税をして財政再建の第一歩を踏み出しておいてよかった」と高く評価される可能性は十分にある。

野田首相の戦略を評価する:
半分の成功と、半分の誤算


 この連載では、野田首相が解散に追い込まれたとする「政局論」と一線を画し、むしろ「政策論」の観点から、首相は自民党・公明党との解散時期を巡る駆け引きを、終始自分のペースで進めたと主張してきた。特に、野田首相が「政治生命」を賭けた消費増税の実現に関しては、衆院選で争点化しようとする勢力を、ほぼ無力化したと指摘した(第48回を参照のこと)。だが、野田首相は総選挙で惨敗した。果たして野田首相の解散戦略は正しかったのか、もう一度評価し直さねばならない。
 
結論から言えば、野田首相の戦略は、半分は誤算があり、半分は成功した。誤算は、小選挙区制の威力を甘く考えていたということだ。首相は、総選挙後の下野を覚悟していたのは間違いない。但し、自民党に対してこれほどの大惨敗を喫するとは考えていなかっただろう。
野田首相は、政権運営の稚拙さ、マニフェスト政策が殆んど実現できなかったこと、マニフェストに書かれていない消費増税実現に突き進んでしまったこと、そして、党内対立が続き、大量の離党者を出してしまったことなど、民主党政権が厳しい批判から逃れられないことを当然理解はしていた。
だが、一方で自民党の支持が広がっていないという実感もあった。だから、総選挙で議席を減らしても、自民党とそれほど大差にはならないと見込んでいた。選挙後、民主党は三党合意の一角として、引き続き意思決定に影響力を行使できるし、あわよくば政権継続もできると考えていただろう。しかし、野田首相の読みは甘かったと言わざるを得ない。野田首相は、総選挙後の政策を軸とした「政界再編」を考えていたが、自公の圧勝で、当面その実現は遠のいてしまった。
一方で、野田首相の「第三極」対策は、ほぼ完ぺきに成功した。第三極の中小政党は、政策調整を行って一体となって「消費増税反対」を訴えて戦うことができなかった。中小政党同士が票を食い合う展開となり、議席を伸ばすこともできなかった。特筆すべきは総選挙後、消費増税に反対する勢力がほとんど壊滅してしまったことだ。政治生命をかけた消費増税の実現という「政策」の観点から見れば、野田首相は衆院選で完勝と言えるのである。

曖昧な政策論争は、むしろ
政策中心の政治への移行プロセスである

今回の選挙では、主要政策について各政党の主張が曖昧で、活発な政策論争がなかった。第三極など中小政党のポピュリズム的政策も、国民の心に響くことはなかった。一方で、民主党は2009年総選挙のマニフェストが完全崩壊したために、今回は現実的な政策の提示に終始した。自民党も、TPPや原発など主要政策で曖昧な表現にとどめていた。

 更に、民主・自民・公明の三党合意によって、社会保障制度改革が国民会議を舞台に専門家によって議論されることになり、衆院選の争点から外された。これらは、民主党、自民党が過去の政策の「政治的敗北」から立ち直れず、自信を持って政策を訴えられないでいることを示している(第47回を参照のこと)。

 結果として、今回の衆院選では内容の濃い政策論争がなかったが、これは決して悲観的な状況ではないと考える。確かに、民主党政権の3年間は、さまざまな失敗の連続だった。だが、自民党長期政権下で政権を担当したことがなかった多くの政治家が、政府や与党の役職に就き、政策立案を経験したことには大きな意義がある。民主党政権で、のべ200人の議員が大臣・副大臣・政務官など政府の役職を経験し、マニフェストの目玉政策がことごとく財源問題に直面する現実を目の当たりにする一方で、財政赤字削減の困難や既得権の壁という現実を思い知ることになった。

 もちろん、民主党以上に政権担当経験が豊富な自民党は、より現実の厳しさを知っている。その結果が、控え気味の公約ではないだろうか。これは、政党の政策立案能力の後退ではなく、今後、「政策中心の政治」が深化していくための過渡期的状況なのだと考える(第47回を参照のこと)。

 そして、政権を担当することになる安倍自民党についてである。この連載では、野党・自民党の姿勢を厳しく批判し続けてきた(第35回を参照のこと)。衆院選で大勝しても、基本的に自民党の問題点は払拭されたとは思わない。ただ、安倍新首相がどんな政権運営を行い、どんな政策を実現するのかは、内閣改造・党役員人事を検証しないとわからない。安倍新内閣の評価は新年第一回目に詳細に行いたい。よいお年をお迎えください。

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