2013年6月23日日曜日

Wall Street通信 アベノミクス相場とルーズベルトの教訓

失速アベノミクス相場、米ルーズベルト大統領の教訓

 米金融政策をめぐる不透明さもあり、不安定な動きが続く世界の株式市場。とりわけアベノミクスによる急上昇の後、相場が一気に崩れた日本株には米投資家も浮足立っている。だが未曽有の金融緩和と通貨安を背景とする株高が突如として終わった例は過去にもある。1933年秋、大恐慌からの脱出をめざした第32代フランクリン・ルーズベルト大統領の時代だ。教訓は何か――。

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 2つの、とてもよく似たチャートがある。1つは、年初からの日経平均株価。もう一つが、33年春以降のダウ工業株30種平均だ。ともに相場が半年足らずで倍前後になった後、突如として2割も急落した。

 日経平均の動きに多くの説明は不要だろう。デフレ脱却に向けた大規模な金融緩和と円高の是正を掲げる安倍晋三政権が昨年12月に発足する前後から株価はほぼ一本調子で上昇。4月4日に日銀が「異次元緩和」を発動後この動きは加速したが、2カ月もしないうちに相場は巻き戻し4月以降の上昇を帳消しにした。
 この展開は80年前の米国と共通点が多い。大恐慌さなかの33年。やはりデフレ解消と金本位制からの離脱によるドル切り下げを訴えるルーズベルト大統領の就任を目前に、ダウ平均は急ピッチの上昇を始めた。
 大統領は就任直後の4月、宣言通り金本位制から離脱。さらに米連邦準備理事会(FRB)に、緩和策の抜本的なてこ入れを迫る。FRBは前年に10億ドルの米国債を買う「元祖・量的緩和」を始めていたが、これでは不十分とみて、30億ドルの米国債の直接引き受けを可能とする法案を議会に働きかけて通したのだ。
 まだ歴史が浅いFRBにとっては金融政策への異例の政府介入。法律にはFRBが買い取りに応じない場合は、米政府がFRBの代わりに通貨を発行できる条項も盛り込み、FRBに大きな圧力をかけた。大統領は物価を「危機前の水準に戻す」という、事実上の物価目標も示した。
これら一連の緩和策を受けて株価は上がり続けたが、7月に突如つるべ落としとなった。日本では株価急落の理由が「安倍政権の成長戦略への失望」と説明されたが、米国の場合はルーズベルト大統領が企業に賃金の2割引き上げを命じたのがきっかけ。実際この政策は、その後の米国の生産活動を大きく圧迫することになった。
 日本に目を転じれば、安倍政権も最低賃金の引き上げをめざしている。一般国民の目を意識せざるを得ない指導者がデフレ対策に取り組むとき、賃金底上げが魅力的な政策に映るのは古今東西で共通のようだ。ただ、その程度しだいでは市場にも景気にも水を差すとの教訓は導けるだろう。
 一方、80年前の米株価急落の理由を市場そのものの特性と当局の政策とのすれ違いに求める見方もある。ごく単純化すれば、常に新たな情報を必要とする市場の期待を当局が維持できなかったとの分析だ。
 代表的な論者は大恐慌の著名な研究者、ベントレー大学のスコット・サムナー教授だ。金融政策は、物価や雇用でなく名目国内総生産(GDP)を目安にして運営すべきだと最初に訴えた人物で、この案はFRB内でも真剣に議論されている。
 同教授は「マーケット・マネタリスト」と呼ばれる新たな学派の中心的存在。金融政策では、市場の期待に働き掛ける『合理的期待形成』を重視。同時に将来への期待は時差を置かず市場の動きに映し出される、との立場をとる。サムナー教授は取材に対し、市場への自身の洞察をこう説明する。
 「ある政策を打ち出すと期待の変化は、直ちに市場の価格に映し出される。日々の市場の水準は、そのまま将来への期待の反映だ。現在の市場価格は将来へ期待をすべて織り込んで形成されている。だから、相場が変動するには常に新たな情報が必要。いったん政策を打ち出せば、その効果で自動的に相場が上がり続けると考えるのは誤りだ」
 ルーズベルト大統領の就任を前に米株式相場が上がったのは、予想されるドル切り下げを織り込んだため。その後、実際の金本位制からの離脱や追加の金融緩和が決まる過程では期待が現実味を増した分だけ株価を押し上げたものの、やがて市場が対策の効果を反映し尽くした時点で相場は失速した、との解釈になる。
 ダウ平均の急落を受けてルーズベルト大統領は10月、次の手を打つ。大統領の権限で金を購入し金の公定価格を決める「金購入プログラム」の開始だ。
当時もまだ多くの国々は通貨の価値を金に結びつけていたので、金価格の引き上げは「ドルはまだ高すぎる」という米国の不満表明の手段になった。大統領は、商品価格の指標でもある金価格の引き上げを通じて物価押し上げへの意志を表明したいとも考えていたようだ。
 側近の日記などには、ルーズベルト大統領がベッドの中や朝食の席でその日の金相場を思いつきで決める様子が出てくる。ある日、ルーズベルトは金価格を1オンスあたり21セント引き上げるべきだと主張。側近が理由を問うと「7の3倍でラッキー・ナンバーだからだ」と答えたことは知られている。
 市場に手口を読まれないよう価格決定をあえて不規則にして、注目を集めようとしたとの見方もある。だが、ここでサムナー教授の指摘する市場のやっかいさは、いっそう鮮明になる。
 大統領は金を買う(ドルを切り下げる)か、買わない(何もしない)かの2通り。金を売ってドルを切り上げることはない。すると金を買わない日は、それが悪材料とみなされ金価格は下げる傾向が続いた。株式市場でも、それが悪材料をみなされた。つまり、市場は「大統領は金を買う」という期待を基準に実際の行動がどうだったかを判断するから、何もしないことは悪材料とみなされる。
 「便りがないのは良い便り」というが、こと市場に関しては「便りがないのは悪い便り」なのだ。サムナー教授は「政策をめぐる前向きなニュースが流れている間は相場の上昇が続くが、太鼓の音が鳴りやんだとたん下落に転じる」と指摘。これがルーズベルト大統領と同様、安倍首相・黒田東彦総裁のコンビが、まさに直面している問題でもあると話す。
 つまり異次元緩和を含むアベノミクスは、その内容が知れ渡り、想定される効果が市場で消化されたあとは、もはや相場を押し上げることはできない、というのが教授の見立てだ。
 だが、黒田総裁は「戦力の逐次投入はしない」と強調している。いわば太鼓を一度、どんと大きく鳴らしてその余韻で相場を押し上げる手法。これは戦略ミスなのか。同教授は「戦略ミスだったかもしれない」と言う。
 ――では、どうすればいいのか。
 「今後も何でもやる、という姿勢をより明確にし、行動で示す必要がある」
 ――日銀はもう国債の発行額の7割を買っていて、流動性不足が市場を不安定にしている。
 「株式や不動産関連の資産をもっと積極的に買うことも可能だ。為替レートに上限を定めたスイスのように、為替相場に狙いを定めた何らかの政策もありうる。国際的に容認されるかは微妙だが、個人的には円相場は過大評価されており正当性はあると思う」

 ――ほかには。
 「銀行が日銀に預け入れる資金にマイナス金利を課して企業などへの融資を促す仕組みも考えられる。それから名目GDPを目標に金融政策を運営すると宣言するのも有効だ。しかも毎年のGDP成長率でなく、水準を目標にして、ある年に目標を達成できなかった場合は、翌年に持ち越して目標を上積みする。金融緩和策を加速的に強める必要があるから効果は高く、市場の期待も押し上げる」
 同教授によるとルーズベルト大統領も緩和策を強めることで市場に対抗した。1934年の1月まで続いた金購入で、金価格は1オンス20ドル強から、35ドルまで切り上がった(71年のニクソン・ショックまで続くことになる価格だ)。マネー・サプライは年率1割近いペースで伸び、34年になると物価も大きく上昇を始めた。この動きをバーナンキ議長は理事時代の2002年に、「政策金利がゼロ付近でもいかに素早くデフレから脱却できるかの顕著な例だ」と評している。
 1934年夏、大統領は今度は、銀の購入による緩和策を開始。米景気は上向き始め、いったんは下げたダウ平均も同年半ばの91ドル台から37年半ばには175ドル超と倍近くに上昇する。
 この上昇相場が再び一気に崩れたのは高値を付けた直後だ。前年からFRB内で信用拡張やインフレへの懸念が強まり、銀行に準備預金の大幅な積み増しを求める金融引き締めに動いたのがきっかけだ。これが大恐慌からの本格的な回復を遅らせたとされている。
 異例の金融緩和が長く続くと、その副作用が心配になるのは今も昔も変わらない。だから、景気の足取りが確実になるまでは緩和策を維持する、との立場をバーナンキ議長も続けてきた。
 ただ、副作用が噴き出す臨界点がどこにあるのかは、それが実際に起きてからしか分からない。現在進行形での判断は困難を極める。これはデフレ解消にまだ時間がかかる日本より先に、緩和策の出口が視野に入った米国がまさに直面している問題だ。過去の教訓が存在したとしても、実際それを生かせるかは、まったく異次元の問題なのかもしれない。
                     米州総局編集委員 西村博之       2013/6/23 6:03   [有料会員限定]



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