2012年10月22日月曜日

尖閣問題 コラム グローバルオピニオン

核心  「大兄」になるなかれ
問われる中国モデル 


 尖閣問題のあおりで、北京の書店に平積みされていた村上春樹さんの「1Q84」の訳本が一時姿を消したという報道があった。

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 ベストセラー小説の題名の下敷きは、英国の作家ジョージ・オーウェルが第2次大戦直後に書いた近未来小説「1984年」だ。

 その国では、家庭に「テレスクリーン」と呼ぶ装置があり、常時「党」の宣伝を流す一方、住人の言動も監視する。党の最高指導者は「ビッグ・ブラザー」。直訳すれば「大兄」か。

 北京の地下鉄でも、若い人は一心に携帯に見入っている。3年前開通した地鉄4号線に乗ると、清朝の離宮「円明園」前に着く。

 広大な庭園の奥に、古代文明の遺跡と見まがう石柱や石材が散在する一角がある。この地にあった西洋式宮殿がアロー戦争(第2次アヘン戦争)で、英仏連合軍に破壊された跡だ。

 西洋人の宣教師に命じて「西洋楼」を建てたのは、清朝第6代の乾隆帝。清の版図を中国史上最大にまで広げた皇帝は晩年、英国の使節マカートニーを接見したことでも知られる。

 皇帝は、貿易拡大の求めにけんもほろろで、海路運ばれたプラネタリウム、望遠鏡、機械類などの進物もろくに見ないで、円明園の小屋にしまい込んだ。

 1820年の時点で、中国の国内総生産(GDP)は世界の3分の1を占めていた。そこから急落する。産業革命で、欧米や日本に後れをとったのだ。

 もし乾隆帝が、西洋の宮殿ではなく、科学技術に興味を示し、産業革命の潮流を取り込んでいたら。中国の歴史、いや世界史は様相を異にしたはずだ。

 指導者の交代期を迎えたいまの中国も、歴史の分岐点に立つのではないか。

 中国が公表しなくなった2つの統計がある。所得格差を示すジニ係数と、デモや労働争議などの集団抗議行動の件数だ。

 1に近づくほど不平等になるジニ係数は、改革開放の初期には0.3程度、それが0.4を超え、この10年ほど空白だ。現状は0.5に近いとされる。中南米やアフリカの国並みだ。

 集団抗議行動も、03年に6万件、05年に8.7万件と増え、やがて数字が消えたが、最近の非公式推計では18万件ともいわれる。

 膨らむ矛盾を何とか取り繕えたのは、高度成長のおかげだろう。頼みの成長率が、7~9月期で7四半期連続鈍化した。

 世界銀行が、2月に出した2030年を見通した中国リポートも、中期的な成長屈折を予想していた。

 世銀によれば、中国の生産年齢人口の峠は15年。人口ボーナスがオーナス(重荷)に転じる。持続的な所得増加には構造改革が必要で、(1)市場経済化を進める(2)技術革新を促す(3)機会の平等や社会保障を整備する、などを勧めている。

 その改革が進まない。野村資本市場研究所の関志雄シニアフェローは、本紙「経済教室」(5月24日付)で「体制移行のワナ」論を紹介している。計画経済から市場経済への移行が足踏みし、一部分野で国有企業が民営企業のシェアを食う「国進民退」が見られる。国有企業などの既得権益集団が、うまみのある混合型体制の固定化をはかり抵抗している、という見方だ。

 関氏によれば、清華大学の研究グループの報告書は「市場経済、民主政治、法治社会といった普遍的価値を基礎とする世界文明の主流に乗らなければならない」と踏み込んでいる。

 いまの指導部は「政権交代のある多党制や三権分立は導入しない」(呉邦国全人代委員長)と西洋型民主主義を否定する。だが「中国的特色のある社会主義市場経済」とは何なのか。詰まるところ、共産党一党支配の永続化ではないのか。

 中国が世界の潮流を見誤れば、世界にとってもリスクだ。欧米にも「中国モデル」は途上国の手本、という人もいるが、中国と関係が深かったミャンマーは民主化へと走り出した。

 先月、フェイスブックの利用者が10億人を超えた。国別人数で米国の1位は当然として、ブラジル、インド、インドネシアなどの新興国が上位に連なる。中国は利用を規制している。

 中国のネット人口は5億人を超え、多くがミニブログの微博(ウェイボ)を利用する。情報化社会が花開いたようにも見えるが、中国のメディアは共産党の厳しい統制下にある。

 昨年の「アラブの春」の際は、当局が報道を抑え、ネットを検閲し、集会やデモの呼びかけを封印した。尖閣の反日デモは急速に収束したが、北京の公安当局は市民の携帯に、デモ自粛の一斉メールを送ったという。オーウェルの世界を、垣間見る思いがする。

 孔子とほぼ同時代、古代アテネに指導者ペリクレスがいた。歴史家のツキジデスが、彼の演説を記した。

 「われらの政体は……少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる……個人間に紛争が生ずれば、法律によってすべての人に平等な発言が認められる……また日々互いに猜疑(さいぎ)の眼を恐れることなく自由な生活を享受している」(久保正彰訳)

 いま読み返しても古びていない。来月8日からの中国共産党大会は、習近平氏をトップとする新しい最高指導部を選ぶ。願わくは、その中から「北京のペリクレス」が出てほしい。


グローバルオピニオン  日米、対中で経済連携を   
        米ユーラシア・グループ社長 イアン・ブレマー氏

尖閣諸島をめぐる対立を引き金に、日本企業は中国でデモ隊に襲われた。中国は次々と対日制裁を繰り出し、強硬な姿勢をみせている。背景には中国の経済力の増大がある。以前のように日本の資本や技術を必要としない、と感じているようにみえる。


 中国は韓国や台湾などに影響を及ぼし、東アジアで日本を孤立させようとも考えているようだ。国内政治が路線対立を抱えるなか、反日のナショナリズムに訴えるのは、中国側にとって、もっとも安直な手段である。

 日本はどう対処すべきか。第一に中国のナショナリズムに対し、ナショナリズムで対抗するのは得策でない。第2次大戦にいたる歴史認識の問題を主たるテーマとして争うことは、控えた方がよい。

 積極的に取り組むべきは、米国など経済的な立場を共にする国々との連携である。例えば、環太平洋経済連携協定(TPP)は中国に対抗するうえで大切な手段となる。欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)も重要だ。

 ちょっと前までは、グローバル化が進めば、世界が平和にひとつになると、思われていた。そんな「ワールド・イズ・フラット」の時代には、中国は急成長する巨大市場の側面ばかり注目された。

 だが今や、世界中を仕切れる国が不在となった「Gゼロ」の時代が到来した。このGゼロ時代においては、政治が経済に対して強い影響力を発揮する。とりわけ中国は政経不可分の国である。

 消費財の販売先として深入りするのは、リスクが大きい。政治的に機嫌を損ねると、他の国の商品に簡単に代替されてしまうからである。

 中国依存の軽減は大きな課題になる。中国の人件費が上昇していることもあって、米企業はすでに対中投資を抑制しつつある。必ずしももうかる市場ではないことに、米企業の経営者は気づいたのだ。

 中国はいずれ自由な市場経済に向かう。そう思われた時期もあったが、今は違う。政府が経済や産業を操る国家資本主義の体制はしばらく変わらない。そんな見方が米国では有力になっている。知的財産権の侵害やサイバーテロなどは、米国にとって現実の脅威である。民主党も共和党もこの認識では変わらない。

 米国の中国観が変わったことは、中国との間で厳しい立場にある日本にとって悪い話ではなかろう。日本は米国と手を携え、TPPを「新たな世界貿易機関(WTO)」に育てることに力を尽くすべきだ。TPPが強力な存在になれば、いずれ中国もそのルールに従わざるを得なくなる。

 日本の得意技は外交や安全保障ではなく、経済や産業である。歴史認識などで熱くならず、米国と一緒にその手腕を発揮してほしい。(談)

 Ian Bremmer 世界の政治リスク分析に定評があり、近著に主導国のない時代を論じた「『Gゼロ』後の世界」。ユーラシア・グループは米調査会社。42歳
<記者の見方>日本は体勢立て直せ

 米中2大国が世界を牛耳る「G2」の時代が到来した。多くの人がそう考えた2011年初めにブレマー氏は、傑出した指導国が不在の「Gゼロ」世界が到来したと喝破した。今や誰もが認識するGゼロの世界で、大きなテーマは中国の台頭。

 どう向き合うか。日本に突きつけられた難題だが、実は米国においても中国はとても扱いにくい存在になってきた、とブレマー氏。米国の変化をとらえ、日本が自らの体勢を立て直せればよい。内にこもっていてはその機会も得られない。
 

習氏は蒋経国になれるか 中国と「失われた20年」
                                                  2012/10/21 7:00

 中国が「失われた20年」を回避できるか、と指摘したら、多くの日本人は「えっ」と声を上げるにちがいない。中国は経済規模で日本を上回るほどの急成長を遂げたのに、失われたという表現は間違っていると感じるかもしれない。だが、指導者の交代があった10年前の中国共産党大会を振り返ると、「何も変わらなかった中国」が浮かび上がる。

習氏は改革者となれるか=共同
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習氏は改革者となれるか=共同
 中国のジャーナリストによると、「習近平氏が蒋経国になってほしいとの期待感が高まっている」という。中国共産党は11月8日から第18回党大会を北京で開くが、習近平国家副主席が政権トップの党総書記に就くのは間違いない。その習氏になってほしいと中国の知識人らが願望する蒋経国とは誰か?
 蒋経国は、共産党との内戦に敗れ、台湾に移った国民党の指導者、蒋介石の息子だ。中国大陸にいた時代から行政手腕にたけ、台湾に移ってからも独裁体制下の統治者として君臨した。蒋経国は強力な政治主導で台湾経済・産業の高度化に成功。国民党は長く戒厳令を敷いていたが、これも解除し、後の民主化につながる改革を断行したことで知られる。
 蒋経国は独裁者ではあったが、近年、改革者としての評価も高まっている。共産党次期トップの習近平氏も父親の習仲勲がかつて副首相を務めており、蒋経国と同じ2世政治家だ。「2代目は頭の固い父親の世代より発想が柔軟になるため、改革に動くのではないか」というのが中国の改革派の願望のようだ。
 共産党大会を前にすると次期指導者への期待が膨らむのは毎度のことだ。実は、胡錦濤国家主席(総書記)、温家宝首相が登場した2002年秋の党大会前も期待感であふれていた。2人は、1980年代に政治経済の改革を進めようとして失敗した胡耀邦元総書記に近い人物であり、改革派と見なされてきたからだ。
 当時の日本の新聞をめくってみる。「共産党に資本家入党、国民政党へ脱皮」「民間主導で産業高度化」「貧富の格差拡大の是正が急務」「政治改革が進み、メディアの自由が広がるか」などといった内容であふれていた。中国だけでなく、日本でも期待が相当に高かった2人の登場だった。
 では2人のその後はどうだったのか。まず、経済を見てみよう。組み立て・縫製など付加価値の低い産業に中国は立脚しており、民間企業主導による高付加価値産業への脱却が唱えられた。輸出の半分以上を外資に依存しており、海外に通用する民間企業の育成も急務とされた。当時の党大会には民営企業家が招かれるなど、改革機運がみなぎっていた。

 ところが、期待は急速にしぼんでいった。成長する企業は中国石油天然気集団、中国工商銀行、上海汽車工業集団、中国移動通信集団など国有企業ばかり。「国進民退」とやゆされるありさまだ。半導体など付加価値の高い産業は育たず、サービス産業も商業施設以外は発展しなかった。外資依存は変わらず、部品を日本、韓国、台湾から集めて組み立てる産業構造は今も変わらない。輸出の半分は今も外資が担う。



台湾の蒋経国・元総統は独裁者だったが、台湾の民主化を切り開いたと評価する声もある=共同
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台湾の蒋経国・元総統は独裁者だったが、台湾の民主化を切り開いたと評価する声もある=共同

 02年当時、沿海部で定着していた産業構造をそのまま内陸部まで持ち込み、ずうたいを大きくしたのが過去10年の成長だ。国内総生産(GDP)は5倍の7兆ドル台になったが、貧富の格差は10年前よりもさらに大きくなった。規模が大きくなるだけで質の転換はほとんどなし遂げられていない。

 政治はどうか。胡錦濤体制が発足してまもなくは報道への規制が緩んだが、すぐに厳しい管理に逆戻りした。中国政府が人権を抑圧しているとの欧米の批判は今もやまない。温家宝首相は時折、「政治改革」を口にするが、目に見える具体的な成果はなかった。

 2人が改革に踏み込めなかったのは2人だけの責任ではないだろう。中国はトウ小平が改革に着手した1970年代末よりも改革が格段に難しくなっている。70年代当時、共産党の内部をまとめれば改革は実現できた。ところが、その後の経済成長で党外に分厚い既得権勢力が生まれた。国有企業や政府系開発会社、それに連なる官僚、民間企業がいるのだ。こうした既得権勢力は利益を失うことには絶対に反対だ。共産党内で行き過ぎた改革案が浮上すればつぶしにかかる。習近平氏が蒋経国になるためには既得権勢力とぶつからなければならないのだ。

 一方、改革に期待する人々からは「中間層が育ったこれからは違う」という声が聞かれる。経済規模が大きくなった効果で1億人を超える中間層が現れ、インターネットなど新たな通信手段を通じて社会への不満を表したり、改革を求めたりしている。中間層の声を力として利用すれば、習近平氏は改革に動けるかもしれない。

 もう、中国は共産党内の勢力争いだけでは物事を決められなくなっている。習近平氏は既得権勢力と妥協し「失われた10年」を「失われた20年」にしてしまうのか。あるいは既得権勢力と妥協しつつも、できる限りの改革を積み上げた蒋経国となるのか。共産党大会後にこそ注目したい。




 

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